碧玉之巻 19帖〜1帖

五十黙示録第2巻
碧玉之巻 19帖〜1帖
 第19帖 
百は九十九によって用はたら
五十は四十九によって
二十は十九によって用はたらくのであるぞ
この場合
百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ
用きは地の現れ方であるぞ
フトマニとは二十の珠たまであり
十九は常立とこたちであるぞ
根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん
十九年過ぎて二十年目であるぞ
地上的考え方で二十年を一廻りと考えているが
十九年で一廻りするのであるぞ
いろは(母)の姿見よ
 第18帖 
氷と水と水蒸気じゃと申してあろうがな
同じであって違うのぞと知らせてあろう
地には地の、天には天の
神には神の、人民には人民の
動物には動物の、植物には植物の
それぞれの方則があり、秩序があるのであるぞ
霊界に起こった事が現界に映ると申しても
そのまま映るのでは無いぞ
また物質界が霊界に反影すると申しても
そのままに反影するのでないぞ
総てが太神の中での動きであるから
喜びが方則となり秩序となって
統一されて行くのであるぞ
それをフトマニと申すのぞ
太神の歓喜から生まれたものであるが
太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない
大宇宙の鉄則であるぞ
鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから
いか様にも変化して誤らない
マニ摩邇の球とも申すのであるぞ
その鉄則は第一段階から第二段階に
第二段階から第三段階にと
絶えず完成から超完成に向かって弥栄するのであるぞ
弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し
進展して止まらないのであるぞ
このこと分かれば
次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ
 第17帖 
はじめに碧玉を並べて下されよ
次に赤玉、次に赤黄玉、次に黄赤玉、次に黄玉、
次に黄青玉、次に青黄玉、次に青玉、次に青赤玉、
次に赤青玉、次に紫水晶、合わせて十一玉
この巻、碧玉(へきぎょく)の巻であるぞ
 第16帖 
めくらの人民がいくら集まって相談すればとて
すればする程ヤミとなるのじゃ
行き詰まってあげもおろしも出来ん事になるのじゃぞ
総てを数だけで決め様とするから悪平等となるのじゃ
めくらをいくら並べてみても何もならん
早く改心せよ
新しきタマの選挙があるでないか
 第15帖 
五六七のミロクの代から
六六六のミロクの世となるぞ
六六六がマコトのミロクの世であるなれど
六六六では動き無いぞ
六六六は天地人の大和の姿であるなれど
動きが無いからそのままでは弥栄せんのじゃ
666となりまた六六六とならねばならんぞ
新しき世の姿、よく心得よ
 第14帖 
頭と尾尻だけでは何も出来ん
化物ばけものじゃ
八尾八頭かしらの時代は済んだのであるぞ
「かんじん」の胴体が無いぞ
日本が胴体であるぞ
日本を何処に忘れて来たのか
自分でも分かるまいがな
尻の毛まで抜かれた化物の姿
鏡に映して見るがよい
鏡は神示じゃと早くから知らせてあろうがな
 第13帖 
まだ〇のみ追っている人民沢山あるなれど
〇では世は治まらん
自分自身は満たされんぞ
「・」 でなくてはならん
と申して 「・」 だけでもならんぞ
「・」が元じゃ、内じゃ
〇は末じゃ、外じゃ「・」 から固めて下されよ
〇はおのづから出来て来る
ふさわしい〇が出来て来るのじゃ
今の世は開ひらけた開けたと申しているが
それは半面だけのこと
半面が開けると半面が閉ざされる世の中
開け放しの明るい世が目の前に来ているぞ
用意はよいか
真中動いてはならんと申してあろう
動くのは外じゃ
忙しい忙しいと申すのは外側にいる証拠であるぞ
気つけて早く中心に飛び込めよ
真中結構、日本は真中の国であるぞ
日本精神は真中精神
末代動かぬ精神であるぞ
三千世界の大掃除であるから
掃除するには、掃除する道具もいるぞ
人民もいるぞ
今の有様では、いつまで経っても掃除は出来ん
益々穢れるばかりじゃ
一刻も早く日本から
日本を足場として最後の大掃除を始めて下されよ
神が致すのでは人民が可哀想だから
くどく申しているのぞ
 第12帖 
ささげるもの、与えるものは
いくらでも無限にあるでないか
捧げよ捧げよ、与えよ与えよ
ことばこそは誰もが持てる其の捧げものであるぞ
与えても与えても無くならんマコトの宝であるぞ
 第11帖 
宇宙の総てが高天原タカアマハラであるぞ
天照大神は高天原を治しら
また高天原を御しらし、また高天原を知らす御役
月読大神は天照大神と並びて天のことを知らし
また「あほうなはら」の汐の八百路を治し
また夜の食す国を知らす御役
素盞嗚の大神は「あほうなはら」を治らし
また滄海あおうな之原を御しろ
又、天下あまがしたを知らす御役であるぞ
 第10帖 
岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ。
ナミの神が火の神を生んで黄泉国(よもつくに)に入られたのが、そもそもであるぞ。
十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ。
十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ。
五つの卵を四つ生んだとも言えるのであるぞ。
総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまっているのであるぞ。
一ヒネリしてあるのじゃ。
天と地との間に大きレンズがあると思えば段々に分かって来るぞ。
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸が閉められたのである道理、分かるであろうがな。
その後独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的である事は申す迄もない事であろう。
妻神も同様、黄泉(よもつ)大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給うたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引きの岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ。
嬉し嬉しの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が至るところに現れて来るのだぞ。
名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ。
この二つが揃って、三つとなるのぞ。
三が道ぞと知らせてあろうがな。
時来たりなばこの千引きの岩戸を倶(とも)にひらかんと申してあろうがな。
次の岩戸閉めは天照大神の時ぞ。
大神はまだ岩戸の中に坐しますのぞ。
ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。
いよいよとなってマコトの
天照大神、天照皇大神、日の大神揃ってお出まし近くなって来たぞ。
次の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪を着せてネの国に追いやった時であるぞ。
素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役の神であるぞ。
天(あめ)ヶ下は重きものの積もって固まったものであるからツミと見えるのであって、よろずの天の神々が積もる(と言う)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ。
命(みこと)をアラブル神なりと申して伝えているなれど、アラブル神とは粗暴な神では無いぞ。
あばれ廻り、こわし廻る神では無いぞ。
アラフル(現生る)神であるぞ。
天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ。
取り違いしていて申し訳あるまいがな。
この事よく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。
絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナミ両神が、天ヶ下を治(し)らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。
素盞鳴の命にも二通りあるぞ。
一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ。
間違えてはならんことぞ。
神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道なき迄御働きをなされたからであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸に隠して神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ。
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光が差していたのであるなれど、仏教と共に仏魔渡って来て完全に岩戸が閉められて、クラヤミの世となったのであるぞ。
その後はもう乱れ放題、やり放題の世となったのであるぞ。
これが五度目の大き岩戸閉めであるぞ。
 第9帖 
九分行ったら一休みせよ。
始めから終わりまで休まずに行くと、今の人民では息切れ致すぞ。
一休みして自分の来た道をふり返れよ。
この世の世話をさすために、人民には肉体を与えてあるのぞ。
活神(いきがみ)がしたのでは堪(こば)れんものが沢山に出て来るからじゃ。
立替え、立直し一時に来ているから、我よし人民には分からん事になるぞ。
この世の動きが分からんのは我よしだからぞ。
今度の岩戸びらきは五度の岩戸閉めを一度にひらくのであるから、人民には中々に理解出来ん事に、折り重なって来るから、何事も神の申す通りハイハイと素直に聞くのが一等であるぞ。
 第8帖 
四つ足を食ってはならん、共喰いとなるぞ。
草木から動物生まれると申してあろう。
神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。
今の人民の申す善も悪も一度にひらいて、パット咲き出るのが、次の世の新しき世の有様であるぞ。
取り違いせぬ様に、悪と申しても魔ではないぞ、アクであるぞ。
大峠の最中になったら、キリキリ舞いして、助けてくれと押し寄せるなれど、その時では間に合わん、逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることも出来ん、皆己の心であるからぞ。
今の内に改心結構。
神の申す言葉が分からぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ。
納得の行く様に致して見せてあるでないか。
 第7帖 
始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが分からねば、それはただの理屈に過ぎんぞ、マコトで無いぞ、根から出たものでは無い、枝葉に過ぎん。
男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが。
一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ男から女をつくったと申すのはある時期における教えじゃ。
岩戸がひらけたのであるから教えではならん。
道でなくてはならんと申してあるぞ。
道は永遠じゃ。
〇から出て〇に至るのじゃ。
 第6帖 
禍(わざわい)と言うものは無いのであるぞ。
光を忘れ、光に背くから、イヤな事が起こるのじゃ。
影が差すのじゃ。
禍とか悲しみとか言うくらい(暗い)ものが無いのがマコトであるぞ。
中心は無と申してあろう。
中心は見えんから、分からんから、外のカスばかり見ているからつまらん事で、つまらん事が起こって来るのぞ。
その見えぬ力が永遠の生命(いのち)と現われるのであるぞ。
見えるものは有限じゃ。
この世の大泥棒をタカヤマじゃと申して、この世を自由にさせておいて良いのか。
元の元の元をよく見極め、中の中の中の見えぬものを掴(つか)まねばならんぞ。
そこから正さねば外側からばかり清めても何もならん。
 第5帖 
七は成り、八は開くと申してあろうが。
八の隅からひらきかけるのであるぞ。
ひらけると〇と九と十との三が出て来る、これを宮と申すのぞ。
宮とはマコトのことであるぞ。
西と東に宮建てよと申すこと、これでよく分かるであろうが。
マコトの数を合わせると五と五十であるぞ。
中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。
これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ。
摩邇(まに)の宝珠(たま)であるぞ。
五十は伊勢であるぞ。
五百は日本であるぞ。
五千は世界であるぞ。
このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。
  第4帖 
真の懺悔は正法をおさむる事であるぞ。
掃除することであるぞ。
先ず御(おさ)め、次に治め、次に知(おさ)めねばならんぞ。
素盞鳴の大神は先ず滄海原を御め給い、更に蒼海之原を治め給い、次に天下(あめのした)を知め給うたのであるぞ。
素盞鳴の大神が悪神と映るのは悪がそなたの中にあるからであるぞ。
 第3帖 
生命の樹、生命の水を間違えて下さるなよ。
樹とはキであるぞ。
水とは道であるぞ。
樹と水に譬(たと)えてあるを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのじゃ。
 第2帖 
気の合う者のみで和して御座るなれど、それでは和にならんと知らせてあろうがな。
今度は合わんものと合わせるのじゃ。
岩戸がひらけたから、逆さまのものが出て来ているのじゃ。
この行、中々であるなれど、これが出来ねば岩戸はひらけんのじゃ。
マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのじゃ。
人民が騙されるのも無理ない様なれど、騙されていては今度の御用は成就せんぞ。
自分自身に騙されている人民も多いのであるが、ついて御座れよ。
少しは苦しき行もあるなれど見事な事を致して御目にかけるぞ。
自分でもビックリじゃ。
始めからの神示よく読んで下されよ。
霊懸かりよろしくないぞ、やめて下されと申してあろう。
 第1帖 
反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりじゃ。
合流するには、立体でやらねばならん。
立体となれば反対が反対でなくなるぞ。
立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう。
漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ。
それが岩戸ひらきじゃ。
低い世界は戒律なくてはならんぞ。
人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴチャにして御座るぞ。
平面と立体とをゴチャにするのと同じ迷いの道であるぞ。
気つけ下されよ。
病むことは神から白紙の巻物をもらったことじゃ。
この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのじゃ。
神からの巻物疎(おろそ)かにするでないぞ。

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